2024.05.12

はぴテク相談室:仏教思想から見た Well-being と幸福

相談者

最近、なんか満たされないんですよね。いいことがあっても、しばらくすると「もっと欲しい」って気持ちになったり、逆に嫌なことがあると落ち込んで…。幸せって一体どうしたら手に入るんでしょう?

はぴテクさん
はぴテクさん

それはとても大事な問いですね。実は2024年に京都産業大学から発表された研究で、仏教思想の観点からまさにその「快・不快の感情と幸福」について深く考察されているんです。まず聞いてほしいのですが、「良いことが起きれば幸せが増える」という図式、当たり前に感じますよね?

相談者

そうですよね、普通そう思いますよね。いいことがあれば幸せで、嫌なことがあれば不幸せ、みたいな。

はぴテクさん
はぴテクさん

ところがブッダの教えによると、「快が増えれば幸福度が上がる」「不快が増えれば幸福度が下がる」という図式は、必ずしも正しくないとされているんです。快いことを経験しても、その快さが消えてしまわないか不安になったり、もっと欲しいと望んでしまったりして、結局満足できない状態が続くと説かれています。

相談者

あ、それ、まさに私のことだ……。美味しいものを食べても、旅行に行っても、しばらくすると「次は?」ってなってしまう。

はぴテクさん
はぴテクさん

そうなんです。この研究では、不快なことが続けば不満足な状態になるし、快なことを経験しても満足できずさらに求め続けてしまう、と整理されています。さらに快でも不快でもないニュートラルな状態に触れると、今度は「迷い(痴)」の状態になるとも。ブッダはこの快と不快のどちらも、さらなる欲望や執着を生んでしまうという意味で、広い意味での「苦」と呼んでいるんです。

相談者

じゃあ、何をしても幸せにはなれないってこと……? ちょっと絶望的に聞こえますが。

はぴテクさん
はぴテクさん

そこで登場するのが「どうすればいいか」という処方箋の部分です。ブッダは瞑想の重要性を説いていて、「止(サマタ)」という心の動きを静める実践と、「観(ヴィパッサナー)」という心の動きをありのままに観察する実践、この二つを挙げています。これらを通じて、煩悩の炎が消え去った静かで平穏な境地「涅槃(ニルヴァーナ)」に至ることが、究極の幸福だと説かれています。

相談者

瞑想かあ。でも私、毎日ひたすら瞑想だけすればいいってわけでもないですよね、現実的に。

はぴテクさん
はぴテクさん

鋭いです!この研究でも明確に指摘されていて、ブッダが説く「こよなき幸せ」は瞑想だけで実現されるものではない、と書かれています。実はブッダの言葉を集めた『スッタニパータ』という古典には、日常の中の「こよなき幸せ」が具体的にたくさん挙げられているんですよ。

相談者

どんなことが書かれているんですか?

はぴテクさん
はぴテクさん

大きく四つに分けられています。一つ目は人間関係と仕事の面で、賢い人と親しく付き合うこと、父母や家族を大切にすること、仕事で混乱せず秩序を保つこと。二つ目は日々の言動として、他者に施すこと、温かい言葉を使うこと、耐え忍ぶ力を持つこと。三つ目は自己を磨く面で、深い学識や技術を身につけること、謙虚さや感謝の気持ちを持つこと。そして四つ目が心の平安として、世の中の良いことも悪いことも、得たことも失ったことも、どちらに直面しても心が大きく揺れずにいられること、です。

相談者

なんか、すごく地に足のついた話ですね。難しい修行の話というより、日常生活の話に近い。

はぴテクさん
はぴテクさん

そこがポイントなんです。快や不快という感情の波に振り回されないこと、そして人間関係や学び、日々の行動を丁寧に積み重ねること。この研究はそういった実践の積み重ねが、仏教思想における幸福やウェルビーイングの姿だと考察しています。「もっと快を得よう」という方向ではなく、感情の波そのものへの向き合い方を変えていく、というイメージですね。

相談者

「満たされない」と感じていたのは、快を追いかけることに疲れていたのかもしれません。なんか少し楽になった気がします。まず身近なところから、人との関わりや言葉遣いを丁寧にしてみようかな。

はぴテクさん
はぴテクさん

素敵な気づきですね。この研究の視点からすると、大きな快楽を追い求めるよりも、日々の関わりや自分の内側を少しずつ整えていくことが、幸福感と結びついている可能性が示されています。焦らず、身近なところから始めてみてください。

■ 今日のまとめ

  • 「快が増えれば幸せが増える」という図式は仏教思想では必ずしも正しくなく、快も不快もさらなる欲望や執着を生む「苦」になりうると考えられている
  • ブッダは瞑想(心を静める「止」と観察する「観」)を通じた涅槃(煩悩が消えた平穏な境地)を究極の幸福として説いたが、瞑想だけが幸福への道ではない
  • 日常の人間関係・言動・自己陶冶・心の平安といった具体的な実践の積み重ねが、仏教思想における「こよなき幸せ」として示されている

■ 出典・注意事項

  • 出典:「人は快・不快をどのように知覚するのか?―仏教思想から見た Well-being と幸福―」京都産業大学世界問題研究所紀要 第39号、2024年3月 https://ksu.repo.nii.ac.jp/record/2000187/files/BIWAKSU_39_81.pdf

  • 注意事項①:本研究は仏教思想・哲学的考察にもとづく論考であり、心理学的な実証研究(実験・調査データ等)ではありません。快・不快と幸福の関係について因果関係を実証したものではありません

  • 注意事項②:仏教には多数の宗派があり、本研究自身も「宗派によって異なる見解がある可能性」に言及しています。ここで紹介した内容が仏教全体の統一見解というわけではありません

  • 注意事項③:ハラリの議論も参照されていますが、本対話ではブッダの教えに関する部分を中心に紹介しています

投稿者によるコメント・補足(1件)
コメント 1

研究自体の紹介はこちら😊
仏教思想から見た Well-being と幸福
https://wellbeing-archive.pages.dev/posts/2024-05-12-1715555133/

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