仏教思想から見た Well-being と幸福
心理学ベースではなく、仏教思想から見たWell-being😊
もしかしたら、宗派によって、違う見解かもしれませんが。
サピエンス全史などのハラリ先生の観点も参考にしながら。
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>(1)人間は快・不快の感情をどのように知覚するのか、
>(2)快・不快の感情は、人間 の「well-being(健康な状態/生活の質) 」や「幸福 」とどのような関係にあるのか、
>(3)仏教思想 という観点から見た「well-being」や「幸福」とはいかなるものなのか、
>といった問題について、仏教 思想という見地から考察する。
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>ブッダによると、〈快の増大=幸福度の上昇〉あるいは〈不快の増大=幸福度の下 降〉という図式は必ずしも真ではない。
>このように不快・苦痛・好ま しくないことが続いている限り人は不満足な状態にあり、 何とかしてそれらを除去しようとする が、快いもの・快楽・好ましいことを経験した場合も決して満足することはなく、その快さが消え てしまわないかと不安になったり、快さがさらに増すことを望んだりする。
>また快でも不快でもな いニュートラルなもの・ことに触れた場合は、迷いの状態すなわち「痴」の状態となる。
>ブッダの教説に従えば、快と不快または苦と楽は、さらなる欲望や執着心を生じさせてしまう以上、 両者とも「苦」と呼ばざるをえない。
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>またブッダは煩悩を制御し、心を整える方法として瞑想の重要性を説いた。 その代表的な方法が、「止」(シャマタ/サマタ/心の動きを止めること)と「観」(ヴィパシュヤナー /ヴィパッサナー/心の動きを観察すること)である。これらを実践することにより、人は静寂で平 穏な究極的な境地である「涅槃(ニルヴァーナ/煩悩の炎が消え去った状態)」の境地に至ることが できる。
>ブッダ自身は、四聖諦等を通じて、現実にある問題の認識とそれらに対 する対処法(処方箋)を提示してくれているが、最終的にはニルヴァーナの境地(煩悩の炎が消え去っ た寂静の境地)、すなわち絶対的な平安と自由の境地に至ることが究極の幸福であると説く。
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一方、ブッダは『スッタニパータ』において、「こよなき幸せ」あるいは「幸福」として以下のよ うな事柄を挙げている。
(1)人間関係・仕事に関係する「こよなき幸せ」 :
愚者ではなく賢者と親交すること、尊敬すべき人々を尊敬すること、父母につかえること、妻子を愛し護ること、親族を愛し護ること、仕事において秩序を保ち混乱しないこと
**(2)生活環境・習慣、 日々の言動、 自己陶冶に関係する「こよなき幸せ」 **:
適当な場所に住むこと、予め功徳を積んでいること、自ら正しい誓願を起こしていること(厳しく自己を制御していること)、他者に施し与えること、理法にかなった行いをなすこと、非難を受けない行為を行うこと、耐え忍ぶこと、言葉がやさしいこと(温和であること)、言葉が見事であること、諸々の道の人(沙門)に会うこと、適当なときに理法について聞くこと、清らかな行いをなすこと
(3)知性・徳性・技術の涵養・獲得に関係する「こよなき幸せ」 :
深い学識を有していること、技術を身につけていること、身をつつしむことをよく学んでいること、尊敬・謙遜・満足(無欲)・感謝(義理堅さ)の気持ちをもつこと、自身を修養すること、聖なる真理を見ること
**(4)心の平安に関係する「こよなき幸せ」 **:
安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、世俗の事柄に触れても(苦楽、得失、毀誉、褒貶を被っても)心が動揺せず憂いなく汚れを離れ、安穏であること
ここで明らかになるのは、ブッダが説く「こよなき幸せ」とは、何も思考したり行動したりせずにただ瞑想のみを行うことによって実現されるものではないということである。
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人は快・不快をどのように知覚するのか?―仏教思想から見た Well-being と幸福―
京都産業大学世界問題研究所紀要、2024/3
私たちは日常生活において種々の出来事・事柄に遭遇するが、それらに対して「快」または「不快」 の感情を抱くのが一般的である。ここで言う「快」とは心地よさ・満足・安楽・喜び等、ポジティブ な感情・状態を指し、「不快」とは心地悪さ・不満・痛み・悲しみ等、ネガティブな感情・状態を指 すが、これらの感情は私たちの精神状態や幸福感に少なからず影響を与えることが知られている。
本報告では、(1)人間は快・不快の感情をどのように知覚するのか、(2)快・不快の感情は、人間 の「well-being(健康な状態/生活の質) 」や「幸福 」とどのような関係にあるのか、(3)仏教思想 という観点から見た「well-being」や「幸福」とはいかなるものなのか、といった問題について、仏教 思想という見地から考察する。具体的には、快・不快の知覚のされ方や快・不快という感情の性質、 快・不快の感情と幸福またはウェルビーイングとの関係に関するブッダの見解について考察した後、 7 世紀のインドにおいて活躍した仏教論理学者ダルマキールティの理論を参照しつつ、仏教認識論に おいて快・不快がどのようなメカニズムで知覚されると考えられていたかについて明らかにしたい。 また最後に、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの議論を踏まえて、来たるべき人類社会 における人間の幸福のあり方について再考する。
なお本稿は、2023 年 11 月 4 日に上海社会科学院において開催された国際ワークショップ「科学技 術進歩と人間社会」にて報告した内容をまとめ、加筆・編集したものである。