2026.07.15

イノベーションとウェルビーイングは、お互いを育て合う

「革新的な仕事」と「幸せ」の関係についての、米国オハイオ州立大学の最新論文。イノベーションとウェルビーイング、両者の関係を整理した理論研究です。

イノベーション(新しい価値を生み出すこと)と
ウェルビーイングは、普通は別々の話として扱われがち。

でもこの論文は、両者は双方向の関係だと主張します。
▼ウェルビーイング→イノベーション
心に余裕があると、思考の幅が広がり、
リスクを取って挑戦できる。
▼イノベーション→ウェルビーイング
意味のある仕事で前進している感覚や、
没頭(フロー)が、幸福感を高める。
つまり、ぐーるぐる回る好循環。

鍵になる力は5つ。
①創造性
②勇気(声を上げる、現状に異を唱える)
③つながり
④レジリエンス(回復力)
⑤システム思考(全体のつながりを見る力)

企業の例も挙げられていて、たとえばGoogle。
実験と自律性(自分で決められること)を促す文化と、
従業員への手厚いサポートをセットで持つ会社として、
「自律・熟達・目的が、イノベーションと幸福の両方を
支える」例としてよく引用されるそうです。
挑戦させる側と、支える側が、ちゃんと両輪。

ただし、注意点もあって、
守られた時間・回復の時間・リーダーの後ろ盾などがないまま
「イノベーションしろ!」だけを求めると、
むしろストレスと燃え尽きの原因に。
(イノベーション疲労、とも。)

つまり、
「挑戦を求めるなら、支える構造とセットで」が設計原則。

なお、これは理論的な枠組みを提案する概念論文で、
因果関係の実証はこれから。という段階です。
それでも「幸せは挑戦の燃料であり、挑戦は幸せの源になる」
という視点は、職場を考える上でヒントになりそうですね。

似たような話で、
最近ですと、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部での幸福度調査が発表されましたが、ちょっと衝撃的なくらい幸福度が高まっていた。という話もございます。
(ただ3年生以上の回答率が低いので、参考までにですが。幸せな人ほど回答しやすい。また、協調的幸福感、特に人並み感とかはアントレプレナーとしては高まらない方が良い気もしますが。)
【学会発表!】「挑戦する力」と「幸せ」の関係を探る共同研究をEMC✕WB✕freeeで実施中!
https://note.com/mu_emc/n/n3a88c31eac50
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The bidirectional relationship between innovation and well-being
イノベーションとウェルビーイングの双方向関係
Taura L. Barr(オハイオ州立大学、米国), Megan Amaya & Uzo Nwankpa
International Journal of Wellbeing, 2026/7/2
https://www.internationaljournalofwellbeing.org/index.php/ijow/article/view/5011

循環するエコシステム イノベーションとウェルビーイングの双方向モデル 医療・教育・組織における持続可能なパフォーマンスのための戦略的ブループリント Taura L. Barr, Megan Amaya, Uzo Nwankpa | The Ohio State University & Samuel Merritt University Path A イノベーションの要求 → サポート不足 → イノベーション疲弊・燃え尽き症候群 Path B ウェルビーイング施策 → 主体性の欠如 → 停滞・効果の限界 致命的なパラドックス:分断されたアプローチの限界 現代の組織は、「イノベーション」を業績至上主義として、「ウェルビーイング」を人的条件から切り離して推進している。この分断が、システムと個人の双方に致命的なコストをもたらしている。 パラダイムシフト:対立から「共生」へ 古いパラダイム | 新しいパラダイム 関係性 競合する優先事項 | 相互補完的な能力 結果 資源の奪い合いと「イノベーション疲労」| 持続可能なパフォーマンスとレジリエンス アプローチ 別々のイニシアチブ・言語 | 共有されたコンピテンシー言語 Notebookl M 成功のメカニズム:なぜイノベーションが回復をもたらすのか Flow Activation Graph フロー状態 (心理状態・没頭度) 拡張・形成理論 フロー状態 挑戦レベル(イノベーションの要求) フロー理論(Csikszentmihalyi, 1990) 適切な挑戦とサポートが組み合わさることで、仕事は消耗するものではなく、深く没頭できる「回復的」な体験へと変化する。 拡張・形成理論(Fredrickson, 2001) ウェルビーイングによるポジティブな感情が、認知的柔軟性と探索的行動(イノベーションの基盤)を「拡張」する。 Notebook LM エンジンの構造解剖:進化するウェルネスホイール イノベーションのコンピテンシー(能力)を、多次元的なウェルビーイングの領域に直接マッピングする。これらはもはや単なる「ビジネススキル」ではなく、人間の繁栄(Human Flourishing)を支える構造そのものである。 キャリア 知的・創造的 5つのイノベーション・コンピテンシー 感情的 身体的 社会的 コア・コンピテンシーI:個人の内なる駆動力 創造性 定義:問題や機会に対し、新新で有用なアイデアや解決策を生み出す能力。 リンクする領域:知的・創造的ウェルビーイング 効果:フロー状態を誘発し、仕事への内発的動機づけを高める。 勇気 定義:不確実性や潜在的なリスクに直面してもも、価値観に基づいたリスクを取り、現状打破に挑む意志。 リンクする領域:思情的・キャリア的ウェルビーイング 効果:真正性と目的意識をもたらし、精神的苦痛を軽減する。 コア・コンピテンシーⅡ:関係性とシステム構築力 つながり リンク:社会的・感情的 信頼に基づく協働関係。心理的安全性を担保し、失敗から学ぶ環境を作る。 レジリエンス リンク:認識的・身体的 逆境に適応し、プレッシャーの下でも機能を維持する能力。燃えぎきを防ぐ防波堤。 システム思考 リンク:環境的・スピリチュアル 個人から環境まで、多層的な相互依存関係とフィードバックループを見據める力。 統合されるエコシステム:双方向のフィードバックループ 保護機: グロースマインドセット、 リーダーシップ イノベーション: コンピテンシー ウェルビーイング 構造的リスク: 燃え尽き、組織文化 ウェルビーイングはイノベーションのリスクを取るための「感情的・身体的清廉路」であり、イノベーションはキャリアと知的ウェルビーイングをもたらす「推進力」である。 アクション・ブループリント:教育と組織のための戦略マトリックス 教育戦略 組織・ワークフォース戦略 創造性 デザイン思考スプリント マイクログラント、保護された実験時間 勇気 倫理的ジレンマのロールプレイ 失敗に対する非懲罰的対応、透明な意思決定 レジリエンス プロジェクトに統合された回復力訓練 ワークロードの調整、境界線の規範化 システム思考 プロセスマッピング、社会技術モジュール 人間中心のワークフロー再設計 現場での実証:教育と実践のケーススタディ オハイオ州立大学 イノベーション・フェローシップ 全体論的・超越的リーダーシップモデルに基づき、心身と精神の全体性を重視。 結果:イノベーション能力、対人関係のつながり、総合的なウェルビーイングの向上が確認された。 サミュエル・メリット大学 コミュニティ看護教育 慢性的なホームレス状態のクライアントに対し、表現芸術(瞑想、瞑想など)を統合。完璧ではなく、成長と探求をモデリング。 結果:クライアントのウェルビーイングを支援すると同時に、学生の感情知能とレジリエンスを強化。 業界を越えた普遍的真理 医療界の外でも、革新的な組織は高いパフォーマンスとステークホルダーのウェルビーイングを意図的に結びつけている。 Google 実験と自律性に加え、従業員サポートへの投資を行い、自律性・熱達・目的的がイノベーションとウェルビーイングを強化することを体現。 Patagonia 製品・ビジネスモデルの革新を、従業員中心の慣行や社会的目的と統合。 Caring Science 臨床の卓越性と共に、マインドフルネスや思いやりといった全体的なウェルビーイングを前面に押し出す実践的イノベーション。 結論 「イノベーションとは、単なる業績目標ではない。人間の繁栄を守る構造と結びついたとき、それは『ヒューマン・スチュワードシップ(人間の管理・保護)』の一形態となる。」 組織は、イノベーション開発とウェルビーイング保護を同時に設計することで、持続可能で拡張性のあるエコシステムを構築し続けらればならない。
投稿者によるコメント・補足(2件)
コメント 1

■背景
▼1. 出発点となる問題意識——2つの研究領域の「分断」
医療現場では、バーンアウト(燃え尽き症候群=慢性的な職業ストレスによる心身の消耗)や人材不足への対応として、イノベーションもウェルビーイングもそれぞれ重視されてきました。しかし両者は別々の研究文献として扱われてきており、統合するフレームワーク(枠組み)がほとんど存在しない、というのが著者らの問題意識です。
・イノベーション施策だけを進めると、支援構造がない場合、かえって個人や組織に負荷(ストレス)を加速させる
・ウェルビーイング施策だけでは、個人の主体性・意味・変化への対応力を扱えず、力不足になる
この「分断のコスト」を埋めるのが本論文の狙いです。
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▼2. 「ウェルビーイング側→イノベーション側」を支持する理論群
まず、ウェルビーイングが高いことがイノベーションを促す、という方向を支える理論的伝統が4つ挙げられています。
・拡張形成理論(broaden-and-build theory)
ポジティブ感情は思考の幅(認知的柔軟性)を広げ、探索的な行動を促す。これが創造性や問題解決を支える、という理論です(Fredrickson, 2001)。近年の実証研究でも主観的ウェルビーイングと創造性の関連が確認されています(Chrusciel, 2021)
・自己決定理論(self-determination theory)
自律性(自分で決められる感覚)・有能感(できるという感覚)・関係性(つながりの感覚)の3つが内発的動機づけ(報酬のためでなく、それ自体が楽しくてやる意欲)を生む。この3条件は革新的な仕事の土台でもある、とされます(Deci & Ryan, 2000)
・心理的安全性(psychological safety)
チームや組織のレベルでは、「失敗しても罰されない」という安心感と質の高い人間関係が、実験や失敗からの学習を可能にします。これは同時に社会的・感情的ウェルビーイングにも寄与します(Edmondson, 2018)
・マクロレベルの実証研究
国や社会のレベルでも、イノベーションと主観的ウェルビーイングには正の関連があることが示されています。ただし、どちらが原因かという方向性や文脈の影響は残る課題です(Dolan & Metcalfe, 2012; Luigi Aldieri et al., 2021)
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▼3. 「イノベーション側→ウェルビーイング側」を支持する研究
逆方向、つまりイノベーションに携わることがウェルビーイングを高める、という経路の根拠も示されています。
・進捗の原理(progress principle)
意味のある仕事で前進している感覚——「小さな勝利(small wins)」の積み重ね——が、エンゲージメント(仕事への熱意ある没頭)とポジティブ感情を生む、という研究です(Amabile & Kramer, 2011)
イノベーション活動が主体性・目的・所属感を高めるとき、複数のウェルビーイング領域を同時に強化しうる、と著者らは論じます。
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▼4. ただし「常にプラス」ではない——イノベーション疲労
著者らは境界条件(その関係が成り立つ条件の限界)にも触れています。
・慢性的な過重負荷、戦略の不明確さ、支援の不足という条件下では、イノベーション要求はむしろストレス・離脱・バーンアウトの原因になる
・この「イノベーション疲労(innovation fatigue)」は、役割の明確さ・ペース配分・回復時間・リーダーの後ろ盾といった保護構造がないとき、プラスの効果を弱めたり逆転させたりするリスク要因として扱われます(Fedulov, 2025)
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▼5. 両者をつなぐメカニズムとしての「フロー」
双方向の関係を説明する補完的メカニズムとして、フロー理論が挙げられています。
・フロー(flow)とは、挑戦的で内発的に動機づけられた活動に深く没入している状態のこと(Csikszentmihalyi, 1990)
・組織場面では、深い没入を支える条件(明確な目標、ちょうどよい難易度、タイムリーなフィードバック、自律性)が、創造性・職務満足・レジリエンス(逆境からの回復力)と関連します(Nakamura & Csikszentmihalyi, 2002; Shernoff et al., 2014)
・神経認知研究は、フローには注意と報酬に関わる独特の脳メカニズムがあり、だからこそ深い没頭が「消耗」ではなく「回復」として感じられうる、と示唆しています(Dietrich, 2004)
・これは、問題発見・領域への没頭・支援的環境を創造的達成の鍵とみなす創造性研究の古典とも整合します(Getzels & Csikszentmihalyi, 1976; Csikszentmihalyi, 1996)
・さらに起業家やスポーツ選手の研究でも、フローが粘り強さ・パフォーマンス・ウェルビーイングと結びつくことが示されており、医療教育に限らない普遍性が示唆されます(Sherman et al., 2015; Stavrou et al., 2015)
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▼6. 「ウェルビーイング」をどう捉えるか——多次元モデルの系譜
本論文のもう一つの土台は、ウェルビーイングを単一の指標ではなく多次元的なものと捉える立場です。
・オハイオ州立大学のウェルネスモデルを採用し、創造的/知的・感情的・社会的・身体的・経済的・キャリア・環境/デジタル・スピリチュアル(意味や目的の感覚)といった領域が相互に影響し合うと考えます(The Ohio State University, 2025; Melnyk & Neale, 2018)
・この多次元的な見方は、評価的側面(人生への満足の判断)と感情的側面(日々の気分)を統合する現代の主観的ウェルビーイング研究とも整合します(Diener et al., 2017)
・感情の構造については、感情を「快-不快」と「覚醒度」の2軸で捉える円環モデル(circumplex model)が参照されています(Russell, 1980)
・国際比較の指標としては世界幸福度報告が挙げられます(Helliwell et al., 2021)
・環境的ウェルビーイングについては、空間が社会的に「生産」され経験されるという議論(Lefebvre, 1991)や、都市デザインが日々のストレス・社会的つながり・健康行動に影響するという議論(Montgomery, 2013)も参照されています
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▼7. 「イノベーション能力」をどう捉えるか
もう一方の柱であるイノベーション・コンピテンシー(学習可能な知識・スキル・心構え・行動の総称)については——
・著者ら自身の先行研究に基づき、創造性・勇気・つながり・レジリエンス・システム思考(物事を個別ではなく相互依存する全体として捉える思考法)の5つを中核に据えています(Barr et al., 2025)
・付録では、医療リーダー教育の文脈で19のイノベーション能力を特定した先行モデルも下敷きにされています(Pillay & Morris, 2016)
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■まとめ——既存研究が示す構図
・ウェルビーイング→イノベーションの方向は、拡張形成理論・自己決定理論・心理的安全性の研究が支える
・イノベーション→ウェルビーイングの方向は、進捗の原理やフロー研究が支える
・ただし保護構造がなければ関係は逆転しうる(イノベーション疲労)
・両者を統合的に扱う枠組みはこれまでほぼ存在せず、そこに本論文の新規性がある
なお本論文は概念論文(理論的な枠組みを提案する論文で、新しいデータによる実証は行わない)であり、提案されたモデルの因果関係は今後の実証研究による検証が必要です。この点は著者ら自身も明記しています。

コメント 2

【内容】
▼1. 論文の3つの貢献(全体の構成)
著者らは本論文の貢献を3つに整理しています。
・モデル1:イノベーション能力とウェルビーイング領域の対応関係を示す「コンピテンシー・プロファイル」の提案
・モデル2:両者が時間とともに影響し合う経路を示す「双方向システムモデル」の提案
・実践への翻訳:2つのモデルを教育・組織運営の具体的戦略に落とし込んだ対応表の提示
以下、順に見ていきます。
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▼2. モデル1——イノベーション能力×ウェルビーイング領域の対応マップ
モデル1は、5つの中核的イノベーション能力を、多次元ウェルビーイングの各領域に重ね合わせた「地図」です。5つの能力の定義と、ウェルビーイングとの理論的つながりは次のとおりです。
・創造性(creativity)
新しく有用なアイデアや解決策を生み出す力。創造的な活動はポジティブ感情・フロー(深い没入状態)・人生満足度と一貫して関連します(Csikszentmihalyi, 1990; Karwowski et al., 2021; Fredrickson, 2001)。対応領域は知的/創造的・感情的ウェルビーイング
・勇気(courage)
不確実さや不利益の可能性がある中でも、自分の価値観に沿ったリスクを取り、声を上げ、現状に異を唱える意志。恐れや曖昧さに向き合うことは、本来性(自分らしくあること)・目的意識・苦痛の低減と結びつくとされます。対応領域は感情的・キャリア・社会的ウェルビーイング
・つながり(connection)
信頼できる協働関係と所属感を築き維持する力。社会的サポートは社会的・感情的ウェルビーイングの頑健な予測因子で、ストレスを和らげます(Edmondson, 2018)。対応領域は社会的・感情的・スピリチュアル(目的/意味)
・レジリエンス(resilience)
逆境に適応し、挫折から回復し、ストレスや変化の中でも機能を保つ力。バーンアウトの低さや対処力と関連し、ポジティブ感情と支援的環境によって強化されます(Fredrickson, 2001; Diener et al., 2017)。対応領域は感情的・身体的・キャリア
・システム思考(systems thinking)
個人・チーム・組織・環境という複数レベルにまたがるパターン・相互依存・フィードバックループ(ある結果が原因側に戻って影響する循環)を見抜き、行動に活かす力。構造的要因がウェルビーイングを形づくる仕組みの理解を助けます。対応領域は環境的/デジタル・キャリア・スピリチュアル(価値の整合)
本文では領域側から見た整理もされています。たとえば——
・知的/創造的ウェルビーイングは創造性と結びつく。挑戦的な問題解決はフローとポジティブ感情を伴い、それが認知的柔軟性を広げ、さらに革新的思考を支えるという好循環が想定されます
・感情的/スピリチュアル・ウェルビーイングはレジリエンスと勇気に支えられる。医療者が道徳的苦悩(moral distress=正しいと思う行動が組織の制約でできないときの苦しみ)や変化の曖昧さを乗り越える助けになります
・社会的ウェルビーイングはつながりに支えられ、心理的安全性が「恥をかく恐れなく実験し失敗から学べる」条件を作ります
・キャリア・ウェルビーイングは勇気とレジリエンスが支え、進歩・熟達・意味の感覚につながります(Dolan & Metcalfe, 2012; Amabile & Kramer, 2011)
・環境的ウェルビーイングはシステム思考と結びつき、制度・業務フロー・物理空間の設計を通じて健康と革新を両立させる視点を与えます
重要な注意点として、著者ら自身が「モデル1は記述的な対応マップであり、因果モデルではない」と明言しています。用途は(a)能力開発がどの領域を強化しうるかの特定、(b)学習目標の設計、(c)ウェルビーイングを守る支援策の選定、とされています。
ーー
▼3. モデル2——双方向システムモデル
モデル2は、イノベーション能力とウェルビーイングが時間の中で互いに影響し合う経路を、システムとして描いたものです。構成要素は次のとおりです。
・外的要因(external factors)
職場文化、業務負荷、教育機会など、システム全体を取り巻く条件
・媒介要因(mediators=AがBに影響する「経路の途中」にあって効果を伝える変数)
成長マインドセット(能力は努力で伸びるという信念)、リーダーシップ支援、研修へのアクセスなど
・調整要因(moderators=関係の「強さや向き」を変える変数)
バーンアウト、職務満足、組織文化など
・候補指標(実証研究で測定に使える変数の例)
イノベーション能力評価、ウェルビーイング調査(バーンアウトやエンゲージメント指標を含む)、実装マイルストーンや協働パターンといった行動/パフォーマンス指標
モデルの中核はフィードバックループです。イノベーション能力を高めることがウェルビーイングを改善し、ウェルビーイングを優先することがイノベーションに適した環境と心構えを育てる——この循環が続く、という想定です。だからこそ、イノベーション研修にウェルビーイング戦略を組み込み、その逆も行うべきだ、というのが著者らの主張です。
一方で前回見たとおり、保護構造(役割の明確さ、ペース配分、回復時間、リーダーの後ろ盾)がない場合、イノベーション疲労がこの好循環を弱めたり逆転させたりするリスクも組み込まれています(Fedulov, 2025)。
ーー
▼4. 実践への翻訳——能力ごとの教育・組織戦略
論文の表2では、5つの能力それぞれについて「教育戦略」「組織戦略」「評価指標の候補」が例示されています。一部を紹介すると——
・創造性
教育:デザイン思考スプリント(利用者への共感→試作→検証を短期間で回す演習)、好奇心と意味についての省察的日記
組織:実験のための保護された時間、少額助成、成果だけでなく「学び」の承認
指標:試したアイデア数、自律性の知覚、ポジティブ感情
・勇気
教育:発言練習、倫理的ジレンマのロールプレイ
組織:心理的安全性の規範、失敗への非懲罰的対応、透明な意思決定
指標:心理的安全性尺度、発言行動の頻度、離職意向
・つながり
教育:多職種チームプロジェクト、ピアコーチング、実践共同体
組織:チームハドル(短い立ち話ミーティング)と事後検証、包摂的リーダーシップ研修
指標:所属感、チーム凝集性、協働ネットワーク密度
・レジリエンス
教育:イノベーション課題と統合したレジリエンス訓練、ペース配分と回復の計画
組織:業務量の調整、回復時間、メンタルヘルス資源へのアクセス、イノベーション施策への境界規範(やりすぎを防ぐルール)
指標:レジリエンス尺度、バーンアウト、病欠
・システム思考
教育:プロセスマッピング、ステークホルダー分析、政策・公平性への影響マッピング
組織:人間中心の業務フロー再設計、継続的改善のフィードバックループ
指標:実装成果、安全/品質指標、仕事の意味の知覚
いずれも「実務的な出発点」であり、現場の文脈・役割・測定基盤に合わせた調整が必要と注記されています。
ーー
▼5. 応用事例——2つの実例
理論を現場でどう動かすかの例として、2つの事例が紹介されています。
・オハイオ州立大学のイノベーション・フェローシップ
イノベーションとウェルビーイングの関係を研究する構造化プログラム。参加者の体験のテーマ分析(インタビュー等の質的データから共通テーマを抽出する分析法)では、イノベーション能力・対人的つながり・全体的ウェルビーイングの向上が「知覚された」と報告されています(Barr et al., 2023; Gahn et al., 2026)。身体・心・スピリットという従業員の全体を扱うリーダーシップモデルに基づいています(Barr & Nathenson, 2022)
・サミュエル・メリット大学の地域看護教育
慢性的なホームレス状態にあるクライアントと関わる12週間の実習で、臨床評価と並行して表現アート(マンダラ塗り絵、瞑想/運動、アロマセラピー、植物療法など)を統合。教員は成長マインドセットを意図的にモデル化し、学生は挑戦や感情的不快感を成長の機会として捉え直す練習をします(Dweck, 2014)。アートや創造性を取り入れた学習がメンタルヘルスを支えるという知見と整合的です(Jin & Ye, 2022; Karwowski et al., 2021)
ーー
▼6. 考察——産業界からの示唆
考察では、医療の外の組織事例も参照されます。Google(自律性と実験の文化)、Salesforce(価値観ベースの文化と支援)、Patagonia(社会的目的と従業員中心の実践)、Zappos(従業員の幸福を戦略資産とする文化)などが、実務家向け文献でよく引かれる例として挙げられ、ウェルビーイングを戦略的優先事項とする組織ほど革新的な人材が育つ可能性が論じられます。
また教育面では——
・成長マインドセットを体現する教員ほど、失敗からの学習を正常化し、学生の「変化の担い手」としてのアイデンティティ形成を支える
・ヒュータゴジー(heutagogy=学習者自身が学びの方向を決める、自己決定型学習の考え方)が、主体性と内発的動機づけを育む具体的手段になる(Blaschke, 2012)
・成長マインドセットはウェルビーイング関連の成果と有意味に関連するという近年の知見もあり、消耗せずにイノベーションへの関与を持続させるテコになりうる(Krskova & Breyer, 2023)
看護教育に特化した枠組みとしては、創造性・勇気・つながりを教育可能な形にした「Three Cs of Innovation」も紹介されています(Barr et al., 2025)。組織レベルでは、保護された時間・境界規範・心理的に安全な実践共同体・目に見えるリーダーの後ろ盾をイノベーション研修とセットにすることが、イノベーション疲労を減らし定着を高めると論じられます(Soleas, 2020)。実際、看護分野では、イノベーション支援的な組織基盤とウェルネス志向の文化が、バーンアウトの低さ・メンタルヘルスの良好さ・職務満足の高さと関連するという実証も出てきています(O'Hara et al., 2025)。
ーー
▼7. 限界と今後の研究
著者らは限界を率直に述べています。
・本論文は概念論文であり、因果効果は確立していない
・モデルが役割や現場を超えて一様に当てはまるとは限らず、人員配置・資源・文化といった文脈要因が関係を大きく左右しうる
今後の研究課題としては——
・能力とウェルビーイングのつながりの心理測定的検証(尺度がきちんと測れているかの統計的確認)
・方向性を検証する縦断研究(同じ対象を時間をおいて追跡する研究)。交差遅延パネルモデル(2変数を複数時点で測り、どちらが先に影響するかを推定する統計手法)などが挙げられます
・心理的安全性・業務負荷・リーダーシップ支援などの媒介・調整要因の検証
・「イノベーション研修+ウェルビーイング支援」が「研修のみ」より持続的成果を生むかを比べる介入研究。ステップド・ウェッジ・デザイン(介入の開始時期を集団ごとに段階的にずらし、全員が最終的に介入を受けられる研究デザイン)などが有力とされます
ーー
■まとめ
・本論文は、イノベーション能力とウェルビーイングを統合する2つの枠組みを提案する概念論文
・モデル1は5つの能力(創造性・勇気・つながり・レジリエンス・システム思考)とウェルビーイング領域の対応マップ(因果モデルではない)
・モデル2は外的要因・媒介要因・調整要因を含む双方向のフィードバックループを描き、実証研究で使える指標候補も提示
・実践的な含意は「イノベーションを求めるなら、それを支える保護構造(保護された時間、境界規範、リーダーの後ろ盾、心理的に安全な共同体)をセットで用意せよ」という設計原則
・ただしすべて仮説段階であり、縦断研究や介入研究による検証が今後の課題

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