ウェルビーイングの哲学的基礎について
という論。骨太です😊
ただ、一般的な基礎というよりは、
著者の先生の考えるウェルビーイングの哲学的なベースでしょうか。(たぶん)
個人的に特に面白かったのは、↓の2点😊
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①幸福論とウェルビーイング論は異なる
→ウェルビーイングは広く、様々な要素をどんどん取り入れている。
「幸福とは年収の高さではない」「幸福とは短期的快楽の総量ではない」等々と語ることができる(そしてその真偽についての立場を取ることができる)のに対して、
ウェルビーイングは、「ウェルビーイングは年収の高さだけではない」「ウェルビーイングは身体的健康だけではない」「ウェルビーイングは短期的快楽の大きさだけではない」といった言語形式を持つものである。
②新しい言葉だからこそ、ウェルビーイングという概念を育てて行く必要がある。
→新しい言葉だからこその良さと、これから育てて行く必要性
「ウェルビーイング」の概念は脆弱であるが故に、我々はそれを丁寧に育てていかなければならない。
とりわけ、「快楽」や「幸福」といった概念との関係については、さらに詳細な分析が求められる。
さまざまな「主義」の先に協調の光を見出すにあたっては、手垢のついていない語彙こそが有用な働きを担うであろうから。
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「ウェルビーイング」の哲学的基礎について
On the Philosophical Foundations of Well-being
神戸親和大学,宇野光範先生,2024
https://kobe-shinwa.repo.nii.ac.jp/record/2000146/files/JID_043_005.pdf
ウェルビーイングとは何か。
本論ではまず、現代のウェルビーイング論を、「~だけではない」という表現によって拡張される言語形式を持つものとして着目し、旧来の哲学的幸福論から区別することを提唱した。
ウェルビーイングを扱う際の、このような言語形式から必然的にもたらされる課題として、実践的な課題としては測定における恣意性を、理論的な課題としては外延の無矛盾性の確保を指摘した。
ウェルビーイングの思想的内容として一貫して緊張関係を持つのが、ヘドニア(快楽)とユーダイモニア(幸福)の関係である。
本論では、一方では「ウェルビーイング」の語彙に過度の哲学的負荷を与えない警句として、18世紀初頭に現象主義哲学を展開したバークリーの主要著作において、現代と類似した日常的な用法で“well-being”という語彙が用いられていたことを見た。
さらに、ヘドニアとユーダイモニアとを対立事項としてのみではなく、最高善であるところの快楽を幸福と同一としたアリストテレスを想起し、現代における「ウェルビーイング」が、快楽をめぐる丁寧な分析を通じて熟成されていく可能性を論じた。