2024.07.07

慈悲とコンパッションの違い

についての論説。が出てました。骨太です。

まとめると↓

①慈悲の内容とされる anukampā(哀愍)とコンパッションの語義は共通する

②コンパッションが自他の別を前提するのに対し、特に大乗仏教の大慈悲は自他不二を前提とする

③慈悲は育むことが可能なものである

④慈悲は実践されるべきものであり、現代でも仏教徒を動かすものである

ただし、コンパッション自体も、セルフコンパッションとかに拡張されてきているので、

より類似した概念になってきている気がします😊

※論説自体は、コンパッション都市・コミュニティ(グリーフケアな都市みたいなの)についての話なのですが、

3節4節で慈悲とコンパッションについて、整理頂いていて、面白いです😍

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慈悲の語義とその実践 ―コンパッションの訳語としての観点から―

文化と哲学,2024/7

石田一裕先生

https://shizuoka.repo.nii.ac.jp/record/2000705/files/40-0032.pdf

本稿ではまずケレハー2022 おいて提示されるコンパッションの概念をまとめ、 また竹之内による訳語の検討と課題の指摘を紹介する。次に慈悲に関する先行研究を紹介 し、最後に実践される慈悲とその現代的な意味を考えてみたい。この作業を通じて、竹之 内 2022 おいて提起されるコンパッションの訳語の問題、特に「「慈悲」という訳語の当 否」を考える視点を提供したい。

一、はじめに

二、コンパッション都市とコンパッション

三、慈悲とコンパッション

四、実践される慈悲

五、まとめ

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慈悲は慈と悲という二つの語からなる。慈とはパーリ語の mettā、サンスクリット語の maitrī に対応する訳語であり、悲は karuṇā の訳語である。前者は友情、後者はあわれ み、やさしさを意味する。さらに前者は他者に利益や安楽をもたらそうと望むことであ り、与楽(楽を与えること)と定義される。後者は他者から不利益や苦しみを取り除こう とすることであり、これは抜苦(苦を抜くこと)と定義される。

J. ハリファックスの説くコンパッションを「共感とは「他者のうちに入 りこんで感じること」(feeling into another)であり、コンパッションとは「他者に対し て・向き合って感じること」(feeling for another)である」と紹介し、「コンパッション は、身近な者や親しい者だけでなく、見知らぬ他者にも向けられうるもの、向けられるべ きもの」と指摘する。

三、慈悲とコンパッション 慈悲は仏教における重要な教理として広く研究されてきた。ここでは中村1956を参照して、まずその語義を確認したい。 慈悲は慈と悲という二つの語からなる。慈とはパーリ語のmettā、サンスクリット語のmaitrīに対応する訳語であり、悲はkaruṇāの訳語である。前者は友情、やさしさを意味する。さらに前者は他者に利益や安楽をもたらそうと望むことであり、与楽(楽を与えること)と定義される。後者は他者からの不利益や苦しみを取り除こうとすることであり、これは抜苦(苦を抜くこと)と定義される。慈悲を与楽と抜苦とする定義はインドで操述された仏典や中国で著された仏教書に共通するが、なかには慈を抜苦、悲を与楽とする文献もある。中村は慈と悲は「意義がいちじるしく類似している」と指摘し、「心情としては同じものに起因している」と述べる。これが慈と悲の定義が時に入れ替わる要因であろう。さらにmaitrīやkaruṇāが漢訳される場合、どちらか一方であっても慈悲と訳されることもしばしばある。中国では「「慈」と「悲」とを深く区別しないで合成語として結びつけて考えることがあったのである。日本でも、古来この伝承を 受けて慈悲を一つのまとしまった概念として理解できた。 この慈悲の内容を示すことばに krpā や dayā がある。これらは「おわれみ」を意味し、 「もともと仏教外で説かれていた」が、仏教もこれを取り込んだ。また梵苦与楽は「心理 的には「共に悩み」「同情」(anukampā)することである。これら西洋においてそれを意 味する語と語源的にも対応している(sympathy, compassion, Mitleid)」と中村は指摘す る。この anukampā(哀悼、憐悸)という語は「震える tremble」を意する kamp という 語に、「後に after」や「共に with」を意味する接頭詞 anu-をつけたもので)であり、「共に 震える」を意する。梵英辞典では anu-/kamp の意味を「to sympathize」、 「compassionate」とする。karunā の語義にも「mournful」や「miserable」のほかに 「compassionate」が提示されている。いずれにしても慈 maitrī も karunā も哀悸 anukampā も貫通った意味があり、中村が指摘するようにそれぞれケレバー2022が紹介する 「compassion=共に苦しむこと」と語調を同じくする言葉である。この意味で maitrī, karunā, anukampā の意義をすべて含む語として理解されてきた慈悲は compassion や compassionate の四語としての条件を具えているよう。このような慈悲は、インドにおいて 仏教のみか説いたのではない。上述の通り中村は krpā や dayā が仏教で用いられた語と指 摘し、杉岡 2008 はジャイナ教で dayā や anukampā が用いられたこと指摘する。これら は広く慈悲ととらえるなら、この語は特定の宗教に帰属するのではなく、広くインドの宗 教に共通の語と指摘できよう。 しかし、コンパッション の訳語として「慈悲」を採用するかは、この検討だけでは十分 ではない。だしながら compassion と慈悲の内容といえる anukampā は同義の言葉で あり、訳語の候補となる。一方で maitrī や karunā の内容はインド仏教において新訳を されし、さらにそれぞれ漢訳されて、中国や日本においてサンスクリット語を離れた理解が展 開した。その全体像を追うことは仏教学の非常に大きなテーマであり、筆者の能力を超え ている。それを踏まえれば的確な検討を果たしたいといえないが、ここではケレバー2022 を起点にコンパッションを分析した竹之内 2022 の成果に基づき、コンパッションと慈悲 の異同を考えて、訳語としての検討の一端としたい。 竹之内 2022 はケレバー2022 が「コンパッション」の働きや「共感」との異同にも、 立ち入らないい」と指摘し「ケレバーのテキストを補い、J. ハリファックス、J. キャンペ ル、M ルが仏教の苦諦のコンパッションに注意を払っていることを述べ、「苦諦はコンパッション の原理を体現している」と記述する。そしてメスバウムが指摘する「自分たちが困窮し ており恥ずかしであることを認める市民たちの社会」がグレベルの説くコンパッション都市と 重なるとし、「人間の恥ずかしさと死すべき定めについて学び合い、自他へのコンパッション に導かれて、アクションを起こすことができる」といっている。 これらをまとめるとコンパッションとは「他者に対して感じること」であり、「生きる ことを可能にする癒しの原理」であり、「恥ずかしさや生きの限界を知ることで容まれ、行動の 起点となるもの」といえる。それは共感と近いものでであるが、他者と対応するにあたり、 他者に入り込んで、あるいは自他の区別なく感情を共有することではなく、他者と区別 された自己が他者を知らないという自尊を持ちながら、なお他者の思いを感じようとする ことがコンパッションであると竹之内2022は指摘していると考えられる。 それではここで指摘されるコンパッションは悪悪と同じであろうか。ハリファックスは コンパッションを「他者に対して向き合って感じること(feeling for another)」とする が、確かに慈悲も他者に対して起こすものである。それは慈悲書特の四無量心のなかの慈 と悲である。四無量心とは瞑想をよりどころとする他己である。無量とは「無量の有情 (=生きとし生けるもの)」を意味し、これを対象として、それぞれが有情たちが「実に楽 しんでいる」「実に苦しんでいる」「実に喜ぶべし」、そして「有情あり」と思いなして 瞑想を行うことで四無量心が容まれる。無量の有情に対してこれら四つの心を育むといっ ても、いきなりそれぞれが可能になるわけではない。例えば慈無量心と修行する者は、友人を 三つに分けて慈しみの対象を様々広げていっている。まず最も親しい友人が楽しんでいる様子 を思い浮かべ「彼らが幸せであるように」と願う。次に普通の友だちに、それほど親しく ないな人に対しても同様の願いを起こす。それが可能になったら次は自分の敵で、嫌でも ないような人に問様の思いなしに。さらに自分の敵に対しても同様の思いなしに。嫌いで嫌 いと悲しみを育てるときも、これを三つに分け、それぞれ嫌ではない嫌、嫌な嫌、最悪の嫌と いった順で慈しみ力を育てていく。これができるようになったら、村や国、そしてすべての 世界があまねく慈しみをもつことができるように思いを育てていく。悲く喜も同様の方法 で育てることが可能となる 他の区別があある点はコンパッションと共通するものである。 一方で仏のみが持つ大悲悲はこのような慈悲と区別される。『倶舎論』では四無量心の慈と悲は無限という善なる心の働きを本質とするが、仏の大悲は智慧を本質とすると説かれる。さらに慈は有情を憐れむのみで実際に救済することはないが、
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本研究のウェルビーイング小話はこちら😊
はぴテク相談室:慈悲とコンパッションの違い
https://wellbeing-archive.pages.dev/posts/2024-07-07-1720312319/

論文紹介 ありがとう マインドフルネス・瞑想意味・目的・スピリチュアリティ感謝・親切・向社会性

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