慈悲とコンパッションの違い
についての論説。が出てました。骨太です。
まとめると↓
①慈悲の内容とされる anukampā(哀愍)とコンパッションの語義は共通する
②コンパッションが自他の別を前提するのに対し、特に大乗仏教の大慈悲は自他不二を前提とする
③慈悲は育むことが可能なものである
④慈悲は実践されるべきものであり、現代でも仏教徒を動かすものである
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ただし、コンパッション自体も、セルフコンパッションとかに拡張されてきているので、
より類似した概念になってきている気がします😊
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※論説自体は、コンパッション都市・コミュニティ(グリーフケアな都市みたいなの)についての話なのですが、
3節4節で慈悲とコンパッションについて、整理頂いていて、面白いです😍
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慈悲の語義とその実践 ―コンパッションの訳語としての観点から―
文化と哲学,2024/7
石田一裕先生
https://shizuoka.repo.nii.ac.jp/record/2000705/files/40-0032.pdf
本稿ではまずケレハー2022 おいて提示されるコンパッションの概念をまとめ、 また竹之内による訳語の検討と課題の指摘を紹介する。次に慈悲に関する先行研究を紹介 し、最後に実践される慈悲とその現代的な意味を考えてみたい。この作業を通じて、竹之 内 2022 おいて提起されるコンパッションの訳語の問題、特に「「慈悲」という訳語の当 否」を考える視点を提供したい。
一、はじめに
二、コンパッション都市とコンパッション
三、慈悲とコンパッション
四、実践される慈悲
五、まとめ
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慈悲は慈と悲という二つの語からなる。慈とはパーリ語の mettā、サンスクリット語の maitrī に対応する訳語であり、悲は karuṇā の訳語である。前者は友情、後者はあわれ み、やさしさを意味する。さらに前者は他者に利益や安楽をもたらそうと望むことであ り、与楽(楽を与えること)と定義される。後者は他者から不利益や苦しみを取り除こう とすることであり、これは抜苦(苦を抜くこと)と定義される。
J. ハリファックスの説くコンパッションを「共感とは「他者のうちに入 りこんで感じること」(feeling into another)であり、コンパッションとは「他者に対し て・向き合って感じること」(feeling for another)である」と紹介し、「コンパッション は、身近な者や親しい者だけでなく、見知らぬ他者にも向けられうるもの、向けられるべ きもの」と指摘する。