はぴテク相談室:東洋思想とウェルビーイング
最近、仕事でもプライベートでも「もっと○○があれば幸せなのに」って思うことが多くて…。収入が上がっても、なんかすぐ次の不満が出てきちゃうんですよね。これって私だけですか?
全然あなただけじゃないですよ。実はそれ、研究でも注目されているテーマなんです。ハラリの『サピエンス全史』でも触れられているんですが、富や収入って、ある程度の水準を超えると幸福感との関係が薄れてくることが指摘されているんですよね。「もっと欲しい」がキリなく続く感覚、すごくリアルだと思います。
じゃあ、内側の気持ち、つまり「幸せだ!」って感情を大切にすればいいのかな、と思っていたんですが、それも違うんですか?
面白いところに気づきましたね。実は仏教の視点だと、外側の条件だけでなく、内側の感情を追いかけることも苦しみの原因になりうる、と考えるんです。「気持ちよくなりたい」「幸せを感じたい」と感情を強く求めれば求めるほど、それへの渇望(かつぼう)が強まって、かえって苦しくなるという考え方です。
えっ、感情を大事にすることも苦しみに繋がるんですか?それはちょっと意外です。じゃあどうすればいいんでしょう?
仏教の考えでは、「感情はすべて移ろいゆくものだ」と理解することが大切、とされています。嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、束の間のもの。それを「ずっと続けたい」「もっと味わいたい」と渇愛するのをやめたとき、苦しみから解放されるというんですね。これは感情を否定するのではなく、感情に振り回されないための視点といえます。
なるほど…。でも「感情を追いかけるな」って、なんか冷たい生き方に聞こえてしまって。楽しむことも大切じゃないですか?
おっしゃる通りで、そこは大事な点です。仏教の幸福観って、「楽しむな」ということではなくて、「真の自分を知ること」に幸福の鍵があると考えるんですよ。自分とは何者か、何であるかを理解すること——それが幸福への道だというんです。楽しい感情を否定するより、「それが一時的なものだ」と知った上で向き合う、というイメージでしょうか。
「真の自分を知る」って、具体的にはどういうことなんでしょう?難しそうで…。
そうですよね、ちょっと抽象的に聞こえますよね。仏教には「縁起(えんぎ)」という考え方があって、簡単に言うと「自分はたくさんのつながりの中に存在している」というものです。自分ひとりで完結した「固定した自己」があるのではなく、周りの人・もの・出来事との関係の中で自分が成り立っている、という見方ですね。この「開かれたつながりの中の自分」を認識することが、仏教的な幸福に近づく一歩とされています。
つながりの中の自分、か。それって『荘子』の考え方とも似ているんですか?さっき名前が出ていたので気になって。
鋭いですね!『荘子』には「万物斉同(ばんぶつせいどう)」という思想があります。これは「あらゆるものは根っこでつながっていて、対立・差別を超えたところに大きな一つの世界がある」という考え方です。仏教の縁起観と共鳴する部分があって、どちらも「自分だけが独立して存在している」という閉じた見方を解きほぐして、無限のつながりの中に自己を位置づけることを目指しているんですよ。
「閉じた見方を解きほぐす」というのが、苦しみを減らすことに関係しているんですね。なんとなくわかってきた気がします。でも日常生活でどう意識すればいいのか、まだピンとこなくて…。
日常の中で意識するとしたら、「いま感じている不満や幸せは、一時的なものかもしれない」とちょっと立ち止まって見てみることが、この考え方の入口になるかもしれません。「もっと欲しい」という気持ちが出てきたとき、それを否定するのではなく、「あ、またこのパターンが来たな」と少し距離を置いて眺める感じです。これは研究の中で言われている実践的なアプローチとまったく同じではないですが、東洋思想の幸福観のエッセンスとして捉えてみてください。
「パターンとして眺める」というの、なんか面白いですね。欲求や感情に乗っかるんじゃなくて、少し引いて見る感覚ですね。今日は視点がガラッと変わった気がします。ありがとうございました!
こちらこそ、とても良い問いを出してくださいました!「もっと持てば幸せ」という考え方は現代社会で当たり前のように広まっていますが、東洋思想はそこに長い歴史をかけて別の視点を提示してきたんですよね。「真の自分とは何か」「自分はどんなつながりの中にいるか」——こういう問いをときどき持つだけでも、日々の見え方が少し変わるかもしれません。
■ 今日のまとめ
- 富や感情の充足を追い求めても、一定の水準を超えると幸福感との関係は薄れることが指摘されており、「もっと欲しい」の連鎖が苦しみを生む構造として仏教では理解されている。
- 仏教の幸福観では、外的条件だけでなく内的感情への渇愛も苦しみの原因とされ、感情はすべて移ろうものだと理解しそれに振り回されないことが苦しみからの解放につながるとされる。
- 仏教の「縁起」や『荘子』の「万物斉同」はともに、自己を孤立したものとして閉じるのではなく、無限のつながりの中に位置づけることで幸福の基盤とする東洋思想に共通する視点を示している。
■ 出典・注意事項
- 西本照真「東洋思想における幸福観の基底にあるもの」『生命倫理』42巻、2018年(2019年掲載)https://www.jstage.jst.go.jp/article/sbp/42/0/42_2019_005/_pdf/-char/ja
- 本稿は哲学・思想の論説であり、実証的な因果関係を示した研究ではありません。記述されている内容は相関・因果の主張ではなく、思想的・解釈的な考察です。
- ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(下巻)の引用を多く含む論考です。ハラリの記述はあくまで一つの解釈・論説であり、個々の主張が科学的に検証されたものとは限りません。
- 仏教・荘子の思想の解釈は学派や文献によって異なる場合があり、本稿の内容が東洋思想全体を代表するわけではありません。
研究自体の紹介はこちら😊
東洋思想とウェルビーイング
https://wellbeing-archive.pages.dev/posts/2024-05-26-1716759998/