はぴテク相談室:ウェルビーイングと人生の意味についての哲学から考える
最近、自分の人生ってこれでよかったのかな…って考えることが多くて。楽しいこともあるんですけど、なんか充実してるのかどうかよく分からなくて。「ウェルビーイング」って言葉をよく聞くけど、結局それって何なんでしょう?
それは大切な問いですね。実は哲学者の信原幸弘さんも、「七〇年近く生きてきたが、自分の人生は善い人生だったのか」という問いから議論を始めているんです。ウェルビーイングを一言で言うと「自分にとって善い人生とはどういうものか」ということなんですが、これが思いのほか複雑で奥深いんですよ。
楽しい気持ちとか満足感があれば、それでウェルビーイングが高いってことじゃないんですか?
実は、それだけでは十分じゃないというのがこの論文の重要なポイントなんです。快感や満足感のような「幸福感」は確かに欠かせない要素だと言われています。でも、幸福感にあふれていたとしても、有意味な活動をまったく欠いていたら、それは本当に「善い人生」と言えるのか、という問いが出てきます。
有意味な活動…ですか。どういうことでしょう?
たとえば、ずっと心地よい状態でいるだけの人生を想像してみてください。嫌なことは何もなくて、気持ちはいつも穏やか。でも、何かに打ち込んだり、誰かとつながったり、自分なりに意味を感じられる活動がまったくない。それって「善い人生」って言えますか?という問いかけです。幸福感と「人生の意味」は別のものとして考える必要があるかもしれない、というわけです。
なるほど。じゃあ、自分の欲求や望みが叶えば善い人生ってことにはなりませんか?
それも論文で取り上げられています。「欲求を充足させればウェルビーイングが上がる」という考え方があるんですが、二つの落とし穴があると指摘されています。一つは「欲求充足の無知」、つまり自分の欲求が満たされていることを自分が知らない場合。もう一つは「期待外れ」、つまり欲しいと思っていたものを手に入れても、実際には思ったほどよくなかった場合です。欲求が叶うだけでは不十分、ということですね。
確かに、欲しかったものを手に入れても「あれ、なんか違う…」ってなることありますよね。じゃあ何が大切なんでしょう?
この論文では「真正性(しんせいせい)」という考え方が重要だとされています。これはサムナーという哲学者の考えを紹介したもので、「十分な情報」と「適切な価値観」の二つが揃ったうえで感じる満足感こそが、本当のウェルビーイングに関係するというものです。つまり、正しい情報を持ち、自分自身の価値観に基づいて「これは自分にとって良い」と判断できる状態、ということです。
自分自身の価値観…というのが難しそうですね。人と比べて「これが幸せだ」って思ってるだけかもしれないし。
鋭いです!それがまさに「主体相対性」という概念につながります。ウェルビーイングは「その人にとって善いこと」であって、誰にでも共通の答えがあるわけではない、ということです。ただ、だからといって完全に主観的でもない。自分の客観的なあり方──どんな状況に置かれているか、どういう人間であるか──と、自分の感じ方が対応しているかどうかも関係すると論じられています。
なんか…人生全体で考えると途方もないですね。日々の満足感だけじゃなくて、長い目で見た意味みたいなものも大事ってことですか?
まさにそこが最後の重要なポイントです。論文では「自己物語」という考え方が出てきます。人生を短期的な一場面ではなく、ひとつながりの物語として捉えたとき、その物語全体に意味があるかどうかがウェルビーイングに関わってくる、ということです。楽しい瞬間も辛い時期も、全部ひっくるめて「自分の人生という物語」として意味を見出せるかどうか、ということですね。
悲しいことや辛いこともあったけど、それも含めて自分の物語…という見方は、なんか少し楽になる気がします。でも、「意味がある」かどうかって、自分でどうやって判断すればいいんでしょうね。
それは哲学の世界でも簡単には答えが出ない問いなんです。この論文が伝えていることは、「幸福感だけでもなく、欲求が叶うだけでもなく、自分なりの十分な情報と価値観に基づいて、自分の人生の物語に満足できるかどうか」がウェルビーイングの一つの考え方だということ。「まずまず善い人生だった」と著者自身が書いていたように、白黒つけるものでもなく、問い続けること自体に意味があるのかもしれませんね。
■ 今日のまとめ
- ウェルビーイング(善い人生)は、快感や満足感という「幸福感」だけでは十分ではなく、有意味な活動も欠かせない要素として考えられています。
- 欲求が叶えばよい、というわけでもなく、十分な情報と自分自身の価値観に基づく「真正な満足感」が重要だとされています(サムナーの真正幸福説)。
- 人生を短期的な瞬間の積み重ねだけでなく、ひとつながりの「自己物語」として捉え、その物語全体に意味を見出せるかどうかがウェルビーイングに関わるという視点があります。
■ 出典・注意事項
- 【出典】信原幸弘「ウェルビーイングと人生の意味についての哲学から考える」『国際哲学研究』Vol.11, pp.63-79(2022年2月)東洋大学リポジトリ https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/13741/files/kokusaitetsugakukenkyu11_063-079.pdf
- 【注意事項①】本文は哲学的論説(概念分析・規範的考察)であり、実証研究(統計調査など)ではありません。「〜すると幸福になる」といった因果関係を示すものではありません。
- 【注意事項②】紹介されている考え方(サムナーの真正幸福説など)は複数ある哲学的立場の一つであり、ウェルビーイングの定義については学術的に現在も議論が続いています。
- 【注意事項③】筆者自身の人生経験をもとにした論述が含まれており、特定の集団や文化を対象とした一般化可能な知見として読むものではありません。
研究自体の紹介はこちら😊
ウェルビーイングと人生の意味についての哲学から考える
https://wellbeing-archive.pages.dev/posts/2024-05-24-1716591607/