2026.05.17

第2回 東洋思想が示すいのち(下田 正弘先生)

〜みんなが幸せな世界を創る「ウェルビーイング学」入門〜

ウェルビーイング学を考える上で、最高のテキストである、

みんなが幸せな世界を創る「ウェルビーイング学」入門😍

日本語なので、読みやすいですし、是非読んで頂きたいのですが、

せっかくなので1話ずつ、AIさんにスライドに起こして頂きました😊

併せて本編も御参照ください❗


AIさんに動画解説も頂きました😊
https://youtu.be/YHSvrtJ_CHk

ーーー

みんなが幸せな世界を創る「ウェルビーイング学」入門

令和7年度(2025年度)武蔵野市寄付講座

武蔵野大学ウェルビーイング学部

https://wb.musashino-u.ac.jp/archives/3303

第1回 みんなが幸せな世界を創る「ウェルビーイング学」とは!?(前野 隆司先生)

第2回 東洋思想が示すいのち(下田 正弘先生)

第3回 「ウェルビーイングの哲学」入門(一ノ瀬 正樹先生)

第4回 ブータンに学ぶ「幸せ」の根っこ(西本 照真先生)

第5回 人と社会のつながりとウェルビーイング(菅原 育子先生)

第6回 助け合いとウェルビーイング(吉野 優香先生)

第7回 思いやりとウェルビーイング(秋山 美紀先生)

第8回 共に生きるためのウェルビーイング(楠 聖伸先生)

第9回 ウェルビーイング教育を実現する3つのポイント(浦谷 裕樹先生)

第10回 「対話」を通じてつながる世界(中村 一浩先生)

第11回 これからの生き方・働き方 ― 一次産業 × ワーケーション ―(島田 由香先生)

第12回 ウェルビーイング介護とは?(グスタフ・ストランデル先生)

第13回 ひとと地域の幸せを高める「幸せのおカネ」のつくり方(保井 俊之先生)

第14回 自然環境とウェルビーイング(山田 博先生)

「ある」と「ない」を超える:東洋思想が示す真のウェルビーイング 「私」という仮想現実を問い直す 「私」は数が生まれた仮想のイメージ:鏡の中の映像を自分だと思い込むことで、私たちは苦しみの因われてしまう。 仏教が説く「無我」による解放 固定的な「私」が存在しないことを知ることで、自己を縛ろうとする苦しみから解放される。 「ある(存在)」の裏側にある「ない(非存在)」 全てのものは相互依存してつながりあり、初めて自分の存在が成される。 つながりの中に「いのち」を見出す 全てを包み込む「A(真実)」の視点 個別の違いや相違(分岐)を起こし、ありもする息から解放された「ありのままの地平を示すこと。 言葉を介した過去・他者との共鳴 周囲の物はすべてを通わしの連いの真想化であり、私たちの時間と場所に包まれている。 迷子を見つける親のような他者関係 自分を見直してくれる他者との出会いによって、未知の場所が「遠かい故郷」へ変容する。 Notebukkoku 境界線と広がり:東洋思想が示す 「ウェルビーイング」の深層 自己という幻想を超えて、いのちの連続性に触れるパラダイムシフト 私たちは「ウェル」を問い、「ビーイング」を忘れている The Dimensions of Well-being 良い 西洋的アプローチ: 「いま、生きている私」を いかに良くするか? 見落とされた広がり: 「ノット・ビーイング(非存在)」の次元。 生まれてこなかった命、 すでに去っていった命。 状態 悪い ある ─────────────────── 存在 ─────────────────── ない NotebookLM 「ない」存在と共にある「いま」 私 Not-Being Not-Being もし自分がいなかったら? もし失われた命(戦火に散った子、 生まれることのなかった兄弟)が ここにあったら? 「ある」と「ない」は断絶していない。 無数の「非存在」と関わりの中に、 現在の「私」が浮かび上がっている。 Notebook LM 「私」は私が創り出したものではない 生命は全く知らないままに与えられ、 「ある」状態に投げ出される。 私たちは自らの意思で生まれた わけではない それなのに、なぜ私たちはこれを「私」と呼び、固執するのか? 鏡像段階:架空の「私」が誕生する瞬間 Step 1: 未分化の世界 (自分を認識できず、 他者と環境だけを見る) Step 2: 鏡の像の発見 (生後半年~1年。鏡の 中のイメージと出会う) Step 3: 錯覚の同一化 (向こうの映像が「これ(私)」 だと思い込む→隔の逆転) 映像(イメージ)への執着が生む苦悩 「私」とは絶対的な実体ではなく、単なる「梁空のマーク(付丁)」。 映像を自分だと思い込み続けるため、そのイメージが変容し、消滅すること(=死)に耐えられなくなる。同一性を保つための終わりのない防衛が始まる。 無我(Muga):幻想からの解放 仏教が示す「無我」。 それは「私」を失うことではなく、 仮想現実(つくられた自我)の 重荷を降ろすこと。 「私」という問い自体が、 本来の問いの在りようで はない。 B領域:分断され、意味づけられた「こころ」と「できごと」 井筒俊彦のモデル(下半分) 環境、親、学校、会社、人生の流れられない事実のピース。 受容できない「トラウマ(辛しみや悟し)」のピースが一つあると、小全体の景色を暗く染め上げてしまう。 NotebookLM A領域:あらゆる意味から解放された「広がり」 意味や比較、自己主張に乗っ取られる必要のない世界。 絶対的な無であり、純粋ないのちの地平。 井筒俊彦のモデル(上半分) NotebookLM 変容:AのことがBの意味を書き換える Aの世界(無我・解放) に触れるとき。 手放せなかった必然的な妄想 劇のピースが、「仮のもの」 として一気に意味を変える。 周りを暗く染めていた呪縛 からの解放。 NotebookLM 言葉が「ものごと」を創り出し、時間を繋ぐ 言葉 言葉 Step 1: Step 2: Step 3: 過去の誰かの心の中に現れた イメージを外化し、共振させる 具現化した現在の物理的世界 イメージ(想像)。 メディアとしての「言葉」。 (マイク、机、光)。 NotebookLM 私たちは「過去の時間」に包まれて生きている 今ここにあるすべてのものは、 過去の誰かが作り出したもの。 未完成な努力を積み重ね、 私たちに手渡してくれた結晶。 空間はただの物理現象ではない。 過去の無数の「いのちの歩み」が 共鳴する場所である。 NotebookLM 究極の問い:「ここはどこか?」 古代インド 『リグ・ヴェーダ』が問うた 「ここはどこか」。 それは空間の認識ではない。 迷子になった子供が、親に見つけられた瞬間に「見知らぬ場所」が「温かい故郷」に変わるように。 場所の意味は、 「私を見出してくれる他者」 によって決定される。 NotebookLM ウェルビーイングの2つのパラダイム 従来のウェルビーイング (Area Bの世界) 目標:自己実現 (「私」のイメージを良くする) 現実の捉え方:固定された事実 (変えられないピースの集積) 対象:存在 (いま生きているものだけを見る) 東洋思想的ウェルビーイング (Area Aとの統合) 目標:自己超越 (「私」という仮想現実からの解放) 現実の捉え方:流動的な意味(広がり によって過去のピースの色が変わる) 対象:連続性(非存在・過去・生きて生 ける者すべてを含む) 📓 NotebookLM いのちの歩みに出会うとき、そこにウェルビーイングがある 生まれてこなかった仲。 亡くなっていった仲。 それらすべてと共にある「いま」。 出来上がった世界を操作し、 自我の「より良いもの」を手に入れることではない。 どんな暗闇があっても、歩み続けた過去の無数の 「いのち」と続紡ぎ、その広がりに身を委ねること。
動画・講演 意味・目的・スピリチュアリティ文化と幸福・日本的幸福

← 検索にもどる